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末国愛里のプロフィール

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私、末国愛里は北海道で生まれ広島で育ちました。
バレーボール選手としては小柄な173cm。ですが公称はいつも175cmでした。

自分の実力を試すため、バレーボール名門校にはあえて行きませんでした。
そしてその高校を初優勝に導く原動力となったのです。

今から考えれば「運の良さ」と「負けん気の強さ」だけでがんばってきたように思います。

以下は私の詳しいプロフィールです。
末国愛里という人物を知るために、ぜひご覧ください。

目次
順風満帆な選手時代
医者から告げられた言葉
文字通りボロボロ
バレーボールから逃げた卑怯者
人に頼ってもいいんだ
今の自分が一番好き←時間がない方はここだけでもドウゾ

順風満帆な選手時代

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父親の仕事の都合により引っ越した先が、バレーボールがとてもさかんな地域でした。

今考えてみると、本当に運に恵まれていたように思います。
友達に誘われるまま何気なく入ったバレーボール部。そこからが長い付き合いの始まりです。

父親譲りの負けず嫌いと、母親譲りの恵まれた運動神経に気づいたとき、「これは私に向いている」とバレーボールにますます打ち込みました。

とても熱心で基本を大切にするK先生のおかげで、地区の大会ではすぐに優勝することができました。
ですが県大会になると強豪ぞろい。いつも最後に負けるというくやしい思いをしていたのです。

「悔しい、一番になりたい」

心からそう願った私は、親元を離れ合宿所のある広島県の高校に進みました。

中学校の大会でがんばったおかげでいろんな高校から誘ってもらえましたが、「自分の力で勝ちたい」とあえて一度も優勝経験の無い高校を選んだのです。

そのとき持っていたのは、「自分が勝たせる」という何の根拠も無い自信だけ。

そこで出会ったのが、K先生を上回る“鬼のような”T先生です。
このT先生のおかげで、私のバレーボール人生は180度変わりました。

T先生は、実業団で監督をしていた方ですが、ご縁があり指導してもらえることになったのです。
ここでも私の運の強さを感じたものです。
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プレーももちろんですが、教えてもらったのは「勝つための考え方」。技術よりも大切なことです。

印象的だったのは、ある選手がミスをしたときのこと。

「一生懸命やりました!」

その選手はとっさに答えたのです。
それを聞いたT先生の言葉は今でも忘れられません。

「一生懸命なんてやらんでいいわ!!手を抜いてもいいから結果を出せ!」

それを聞いた私は、勝負の世界の厳しさを本当の意味で理解できたのです。
そして“結果を出すこと”の大切さが身に付いたのもこのときでした。

その後チームメイトにも恵まれた私は、念願の全国大会に出場するチケットを何度も手に入れることができたのです。

春の高校バレーやインターハイでは、広島県は代表争いが激しく連続出場は難しかったのですが、在学中の3年間は全戦全勝の前代未聞の記録!

広島県内では負け知らずの高校として一躍有名になりました。

そのおかげでユースの全日本(18歳以下の選抜チーム)に選出され、同期の多治見選手や大貫選手、江藤選手と一緒にブラジルの世界大会に出場しました。

そしてアジア大会では優勝。世界大会へと進むことができたのです。
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この同期のメンバーとはその後も長くお付き合いさせてもらっています。
その後全員がジュニアの全日本(20歳以下の選抜チーム)に入り、その後、それぞれの企業に入社することになります。

私も含めて全員は、それぞれのチームの主力選手として活躍しました。
95年には全日本チームに選出され、ワールドカップやグランプリに出場。

「同期で誰が一番に引退するかな?」

と冗談で話していたものですが、まさか自分がそうなるとは思ってもいませんでした。

アトランタオリンピックを翌年に控え、JOCのオリンピック強化指定選手となり、「さぁオリンピックだ」というときに、その日はやって来ました。

医者から告げられた言葉

「もうスポーツはできません」

最初、ドクターの言葉の意味が理解できませんでした。

そのころ極度の貧血とめまいに悩まされていた私ですが、リーグ最終試合まではと思い、体調の不良を隠し続けてきたのです。

チームに迷惑をかけまいという思いからだったのですが、「もう限界だ」と感じ病院を受診したのは、ある日の練習後のこと。

診断の結果は、今後激しい運動は全くできないほどの重い心臓の病気でした。心臓に過度の負担がかかったことによって正常な機能が失われていたのです。

小柄ゆえ、練習ではいつも他のメンバーの何倍ものトレーニングが必要と感じていました。

他のメンバーが腕立て伏せを100回やるのなら、自分は150回。
腹筋を100回するのなら、自分は150回。

常に1.5倍の練習量を積んできたのが、心臓にとって大きな負担になっていたのです。

「再起不能」

しばらくは何も考えることができませんでした。

文字通りボロボロ

「このままではあまりにも辛い...」

そう思った私は、自己啓発やメンタルトレーニング関係の書籍を読みあさりました。
ですが、「なるほど」と思うものの、ひとりではなかなか前に進むことができません。

選手のときにメンタルトレーニングを受けた経験もあり、「もう二度とバレーボールはできない身体は変えられない。だったら意識を変えよう」と思い始めました。

今考えると、この苦しい期間は必要だったように思います。

ただひとつ残念だったのは、この苦しい時期を一緒に乗り越えてくれる人に出会えていればどれだけ楽だったろう、ということです。

「もう私には何も無い」「バレーボールができなければ価値がない」

そんな完全にマイナスの考えにとらわれていた私にとって、進むべき道を示してくれる人がいればどれだけ心の支えになったでしょうか?

きっと、もっともっと早く楽に前に進めていたことでしょう。

「これから何をしたらいいんだろう?」

そう考えたとき、完全にマイナスの思考とらわれていた私にとって、先を見る余裕は全くありませんでした。

「何とか前に進もう」といろいろな物を見たり聞いたりしても、湧き出てくるのは悪いイメージだけ。

「もう二度と選手としてバレーボールをすることはできない」

「10年以上ずっとずっと思い続けて毎日練習したきたのに、そしてすべてのことを犠牲にしてやっとここまで来たのに、目の前のオリンピックに出場することはできない」

「それどころか、この心臓で何ができるのだろう?日常の生活はできるのだろうか?」

「また調子が悪くなったら?苦しくなったら?もっと悪くなって死んでしまうのかも...」

心の中は文字通りボロボロでした。
ですが時間は止まりません。バレーボールを引退した後の道を決めなくてはならないのです。

幸いだったのは、私が所属していた「小田急」というチームは本当にあたたかい会社だったことです。

「A4でコピーをお願い」と頼まれたとき、「A4」はコピー機のメーカーだと思っていたほどの“世間知らず”の私でも、小田急電鉄に温かく迎え入れてくれ、しかもドクターや検査技師、看護師が常にいる場所へ勤務させてくれたのです。

勤務中に何度か「苦しい気がする」と言ったとき、優しく心電図を測ってもらい、「大丈夫だよ」と安心させてくれたのは、本当に心の支えになりました。

いくら感謝しても感謝しきれない会社です。

2年の間、心臓の状態を見守りながら勤務したあの時間は、私の中でとても大切な時間です。
おかげさまで身体も心も少しずつ楽になり、すこしずつリハビリの意欲もわいてきました。

バレーボールから逃げた卑怯者

そんなある日、NHKから貴重なお話をいただきました。
テレビで行うバレーボール試合放送での解説者の仕事です。

根っからの強がりの私はすっかり立ち直ったふりをして生活をしていたので、「やったら良いじゃない、仲間にも会えるよ」といろいろな方にすすめられ、引き受けざる負えなくなったのです。

本当のところを言うと、このとき私は「バレーボールは見るのも聞くのも嫌」という状態。
バレーボールを見たり、昔の仲間に会うことは、自分を否定することと同じだったのです。

「死ぬことが怖くてバレーボールから逃げた卑怯者」

自分で自分のことをそう思い続けていました。

そんな自分に向き合うのが恐ろしかったのです。
ですからテレビでの解説は心ここにあらずという状態だったのです。

「あんなプレーじゃない!私ならもっと上手にやれるのに、なぜ私はユニフォームも着ないでここで話をしているんだろう?」

今から思えば、せっかく見ている視聴者の方には大変申し訳なかったと今でも感じています。

人に頼ってもいいんだ

そんな自分に塩をもみこむような思いの解説でしたが、それでも救いはありました。

NHKの関係者の方などと交流しながら、試合を放送するためにはこんなに沢山のスタッフが協力して放送は成り立っているんだ、と実際に目にすることでわかりました。

「人に頼ってもいいんだ」

初めてそう感じた瞬間でした。

アナウンサー、ディレクター、カメラマン、音声担当...放送の前にはスタッフ全員での入念なミーティングがあります。

NHKならではの「放送禁止用語」についてレクチャーがあったりと、本心では嫌々引き受けた仕事でしたが、とても学ぶことの多い貴重な機会でした。

ちなみにこれは、私の生涯唯一の“アルバイト”体験となりました。

今の自分が一番好き

このころになると、周りの優しい人達に支えられながら、少しずつ自分に自信を持てるようになってきました。
心の荷物をひとつひとつ降ろせるようになってきたのです。

10代、20代とバレーボール一筋に突っ走ってきて、その結果手に入れたのはこれ以上ないほどの挫折感。

ですが今でははっきりと「今の自分が一番好き」と言えます。
「コーチング」というものに真面目に取り組み、一生懸命勉強してきたおかげです。

コーチングを知らなければ、きっと今の自分は無かったでしょう。
今でも絶望の淵に取り残されていたかもしれません。

そういう意味では、「コーチング」は私にとってなくてはならないものなのです。

コーチングを学ぶことで、自分の良いところも悪いところもわかってきました。
自分の考え方の特徴や習慣なども、良い方へ使えばどんどん良くなるし、反対に悪い方に使えばどんどん悪くなる。

そんな私が伝えたいのはひとつだけ。
コーチングを使えばひとりで悩むよりもとても楽に早く目標へ向かえるということ。

私が立ち直るきっかけになったこのコーチングを、どんどんと生活に取り入れてもらいたいのです。

選手の時にコーチをつけていれば、もっと早くよい結果を出せたはず。
つらく苦しい時期にコーチを見つけていれば、もっとはやく立ち直ることができたはず。

自分探し、やりがい探し、何かにぶつかったとき。それがコーチングのチャンスです。

「今の自分が一番好き」

あなたが自信を持ってそう思えるときまで、私、末国愛里はあなたといっしょに歩んでゆきます。